東京地方裁判所 昭和37年(ワ)7940号 判決 1968年7月31日
原告 永田一
右訴訟代理人弁護士 平山國弘
同 浅川勝重
同 吉武伸剛
右訴訟復代理人弁護士 川越憲治
被告 小野喜美代
右訴訟代理人弁護士 荻原貴光
主文
1、被告は、原告に対し金五五万八、〇〇〇円およびこれに対する昭和三六年一〇月六日より完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。
2、原告のその余の請求を棄却する。
3、訴訟費用は、これを三分し、その一を被告の、その余を原告の各負担とする。
4、この判決は、第一項にかぎり、仮りに執行することができる。
事実
≪省略≫
理由
一、1、小野清は、生前に、天地ます、小野チエ子、被告の三人の婦人と順次結婚をし、ますとの間に小野悟、小野渓子、田川治子の三人、チエ子との間に小野勝、小野明子、小野泉、小野信子の四人、被告との間に小野汪子、小野渉の二人の各嫡出子をもうけ、ます、チエ子、被告らとはいずれも離婚した。小野清は、昭和三五年一〇月二〇日に死亡し、右の九名の嫡出子が相続人として小野清の遺産を承継した。同人の遺産は別紙第二目録記載の各不動産であり、右不動産の昭和三六年五月一日当時の評価額は、同目録評価欄、記載のとおり、総額一一億七三二万二、〇〇〇円であった。
以上の各事実について、当事者間に争いはない。
2、被告が昭和三五年一二月一八日、弁護士である原告に対し、被告の未成年の子である小野汪子、小野渉のために親権者として、小野悟、小野渓子、田川治子、小野勝、小野明子、小野泉、小野信子を相手方として前記の遺産について右両名の相続すべき財産の確保ならびにその分割の法律事務の処理を委任したこと、右の委任の手数料として、被告は原告に対し二〇〇万円を支払い、成功謝金として被告小野汪子、小野渉が保有しえた財産の価額の一〇〇分の八に相当する金員を支払う旨約したことの各事実について当事者間に争いがない。
3、さらに原告は、右委任契約において、被告、小野汪子、小野渉の固有財産保全をも目的とされた旨主張する。≪証拠省略≫によれば、右の原、被告間の契約は、小野清の死亡にともない、被告およびその子である汪子、渉の財産関係の処理を原告に委託する趣旨において締結されたものであって、特に相続財産分割事務の処理にのみ限定する明示の合意がなされたものではなくしたがって、前示の内容とともに、当時相続財産の範囲が必ずしも確定されてはいなかったため、関係者の間で相続財産の範囲について争いが生じた場合には当然に被告、および汪子、渉名義となっている同人ら所有の財産(固有財産)を保全する事務をも委任したものであることが認められる。≪証拠判断省略≫
二、そこで、原告が受任事務の処理に成功したかどうかについて判断する。
1、原告が、本件受任事件について東京家庭裁判所に遺産分割審判の申立をなすとともに、被告の同意を得たうえで、復代理人として長野國助、薬師寺志光両弁護士を依頼して、両弁護士とともに相手方らの代理人滝川三郎弁護士、および同弁護士辞任後は大山菊治、原玉重両弁護士と交渉を重ねた結果、相手方らとの間に示談が成立し、前記の遺産分割審判申立を取り下げるとともに昭和三六年四月一〇日には原告主張のような内容の調停が成立したこと、右調停において被告および小野渉の所有であることが確認された別紙第一目録記載の各不動産の価額の総額は、同年一〇月五日当時、四、六三五万円であったこと、および、原告は、同年一〇月五日、右の調停の結果に基づいて小野悟外六名の相手方から三、〇〇〇万円の支払を受けて、これを被告に交付し、本件の受任事務の一切を終了したこと、以上の各事実については当事者間に争いがない。
2、さらに≪証拠省略≫を総合すると、以下の事実を認めることができ、この認定を覆すに足りる証拠はない。
(一)、小野清の相続人は、被告の子である汪子、渉を高輪組、ますの子である悟、渓子、治子を鎌倉組、チエ子の子である勝、明子、泉、信子を横浜組とそれぞれ他を指称し、その間に利害が対立して複雑な家庭事情にあり、そのうえ小野清の遺産としては多数の不動産があり、そのなかには小野清の所有名義のものばかりではなく、各相続人らの名義となっているものもあって、その相続関係は複雑を極めていた。
(二)、小野清の生前の顧問弁護士でもあった滝川三郎弁護士は、清の死亡の直後、同人の遺産について調査を行い、各相続人らの所有名義となっている財産をも全て調べたうえ、実質的に清の遺産であるものの一覧表を作成した。それによれば、清の相続財産は、同人所有名義のもの五億三、九一九万三、四〇〇円、このほか、相続人等の所有名義とはなっていても実質は清の遺産であるものを含めた総額は七億二、四四八万、八、七〇〇円と評価された。右のうちには、相続財産でない被告および小野渉所有名義の別紙第一目録記載の各不動産、小野汪子所有名義の静岡県加東郡伊豆町大川五〇二番一、雑種地四四九坪=一、四八四・二九平方メートル(以下、伊豆大川の土地という。)および、小野悟所有名義の借地、建物、田川治子所有名義の土地、建物、小野勝所有名義の建物等が含まれており、別紙第二目録記載の相続財産(ただし、同目録記載の八、6の土地を除く)だけに限れば、六億三、七〇六万三、七〇〇円と評価されていた。
滝川弁護士は、当初、遺産を相続人九名の共有のまま運用する構想を樹て、これを前提に問題を処理したいと考えたが、被告からその子である汪子、渉のために遺産分割の要求が出され、かつ原告がその代理人として選任されるに及び滝川弁護士はいわゆる鎌倉、横浜組の代理人となり、遺産の範囲および評価をめぐり関係者の間に紛争が公然化するに至った。当時相手方は、被告および小野渉の所有名義になっていたが別紙第一目録記載の不動産も遺産に属すると主張していた。
(三)、被告は、小野清と離婚していたとはいえ、清が亡くなるまで高輪においてともに生活し、清の死を見守ったことからも、同人の遺産については、清と被告との子である汪子、渉のために相当な取得分があるものと考え、前示の委任契約を締結するに際しても、原告に対し、二億円近い取得分があるはずであるから、できるだけ多くの財産を取得してほしい旨、ことに以前、被告が住居として使用していた通称喫茶「○○」の土地、建物(別紙第二目録、二、記載)については、愛着も深くまたその評価額が二億円近くにのぼるものと思われていたため、その取得を、つよく希望していた。
(四)、原告は、被告から前示のとおり委任を受けた後、小野清の遺産ならびに被告らの固有財産について一応の説明を受け、さらに滝川弁護士から交付をうけた前示の調査、評価結果を記載した書類に基づいて被告、さらには相手方代理人であった滝川、大山両弁護士からも事情を聴取した。しかし原告は、各不動産の評価の適否および被告ないしは各相続人の所有名義となっていた不動産が、その名義どおり各人固有の財産であるのか、それとも実質は遺産であるのか、を判断するに不可欠な各所有名義取得の経過、出捐の有無等について、個別かつ具体的に充分な調査を尽すに至らない段階で、安易に、それらを含めて遺産の総額は約五億円程度であると概括的に把握をしたうえで、本件事件処理の基本方針として親族間の融和を第一の目的として、先ず協議分割による解決を図り、必ずしも法定相続分に応じた機械的、計数的な分割に拘泥すべきではないと判断した。
(五)、にもかかわらず、原告は、交渉を有利に進めようとして、被告の所有名義となっていた不動産のうち、関係者の間で小野清および同人の弟である小野基良の共有に属することが明らかであり、被告もこれを自認し、念書まで差入れてあり、かつこのことを原告にも告げてあった別紙第二目録記載の九の2の建物を、第三者に売却処分したもののようにみせかけ、第三者のため所有権移転仮登記を経由せしめた。このため、かえって相手方のみならず有力な親族の態度を硬化させ、交渉の結果如何によっては右処分行為を理由に原、被告は共に刑事告訴を受けかねまじき情勢となり、遺産分割の折衝においても被告側はみずから窮地に立つような事態を招いた。原告は右の事態を打開するため、長野國助、薬師寺志光両弁護士の助力を得、相手方代理人である大山、原両弁護士との間で円満に解決を図るべく話し合いを重ねた結果、相続税は相手方らが負担することとして前示の調停が成立したものである。
(六)、原告は、右調停を成立せしめるについては、あらかじめ被告に対しその経過ならびに解決案の内容を説明し、同意を求めた。被告は、右解決が当初の期待に反し被告らの保有し得る財産の価額が少なくなったことに不満を感じたけれども、本件遺産分割の折衝経過に鑑みれば、この調停を成立させることを拒む決心もつかず、原告に説得されるまま、右調停案に同意した。しかし、これによって実質的な解決をみた本件委任事件の成功報酬としては昭和三六年三月一三日に原告に対し二五〇万円を支払ったにとどめ、その后相手方から右の調停に基づく金員の交付を受けて、原告の受任事務が完全に終了した後も、原告の計算による報酬残額の支払催告を拒絶し、本訴に至ったものである。
3、以上の認定事実によれば、
(一)、原告は、相手方との接渉により、当初の滝川弁護士の調査においては清の遺産のうちに含められており、相手方において小野清の遺産に含まれると主張していた別紙第一目録記載の各不動産を、それぞれ被告あるいは小野渉の固有財産として確保しえたことが明らかである。その際、相続財産ではない小野汪子所有名義の伊豆大川の土地を確保することはできなかったが、右土地は、滝川弁護士の調査においては当然に相続財産に含まれるものとされていたのであって、その権利の帰属が必ずしも明らかではなく、また右土地は約一八〇万円程度に評価されていたこと、および、滝川弁護士の調査時には相続財産とされていた相手方ら相続人の所有名義の不動産はそれぞれの固有財産であるものと、実質は清の所有であるとして相続財産を構成したものがあること等の事情が≪証拠省略≫により窺い知ることができるのであって、この程度の権利の喪失は前記の事情の下では原告の事務処理に特段の不手際があったとまではいうことができない。
(二)、しかしながら、別紙第二目録記載の相続財産の分割の結果得られた小野汪子、小野渉の利益は、現金三、〇〇〇万円のみであって、右の取得分は、原告も自認する昭和三六年五月一日当時の遺産評価額を前提にすれば、右両名の法定相続分二億四、六〇七万円の八分の一に満たないものであり、滝川弁護士の調査における評価額を前提としても約五分の一にすぎない。かつまた、原告は前記認定のとおり別紙第二目録九の2の建物に所有権移転仮登記をしたことにより相手方を刺激しており、このことが右遺産分割に当り被告らに不利益な影響を及ぼしたことは否めない。以上によってみれば、相続税を相手方らの負担としたことを考慮に入れても原告は本件受任事件の処理において充分な成功を収めたものとは到底いえない。
(三)、原告は、遺産分割協議の場合には、法定相続分にかかわらず、親族間の融和を第一次的に考慮すべきであるというが、前記のとおり被告はできるだけ多額の財産を取得してほしい旨原告に希望をのべて委任しているのであって、分割協議であることによって、委任者の確保しうる正当な利益を考慮しなくてもよいということにはならない。さらに原告は、調停成立の際に被告の同意を得ているのであるから、被告はその結果に満足し、事件の処理は成功したものというべきであると主張する。しかしながら報酬契約にさだめられた成功報酬にいわゆる成功とは、主として、右契約締結時において当事者間で委任の目的とされた事務処理によって得られるべき利益の確保がなされたかどうかを基準にして判断すべきものであって、調停成立時において同意を得たことのみによっては事件処理に成功したとはいえない。
三、1、原告は、右成功報酬は、委任事務処理の成功、不成功に拘らず、弁護士の知的労働に対する報酬として支払われるべきものとして合意が成立したと主張するが、原告本人尋問の結果以外にはこれを認めるに足る証拠はない。かえって≪証拠省略≫によれば、本件委任契約の際に原、被告間に作成された契約証には、原告主張の報酬金の定めについて「本件の成功謝金は、成功と同時に保有財産の時価の一〇〇分の八を支払う」旨の記載があること、原告と被告の間には右の報酬金の定めとは別途に手数料ないしは着手金として二〇〇万円を支払う旨の合意があり、原告はその金員を前記事件受任後まもなく受領していることが認められる。
2、弁護士に対する訴訟委任の際の報酬契約にいわゆる「着手金」および「成功謝金」の性質については、当事者間で疑義のないように取り決めてあれば格別、そうでないときは、訴訟物の価額に対するその約定金額の割合、事件処理に必要な経費、時間、事件の困難性等の客観的事情を基礎にして、当事者の合理的意思を審究してこれを定めるべきものである。本件委任契約においては、「着手金」として二〇〇万円という多額の金員が支払われるほか、別に「成功謝金」の支払の合意がなされている。右の「着手金」は受任事務処理費用の前払金としての性質とともに事件の成功、不成功にかかわらず支払われる受任事務処理の労務に対する報酬の一部としての性質をも有するものと解すべきであり、これに対比すれば、「成功謝金」の約定は、反対の特約がないかぎり、同じく労務に対する報酬ではあるけれども、その事務処理が一定の「成功」をおさめ得た場合に支払われるべきものとして合意されたものと解するのが相当である。そして、右の「成功」とは、委任契約において目的とされた事務の遂行により確保しうる委任者の利益について、受任者たる弁護士の寄与によりその利益が確保された場合を指すものであって、右の「成功報酬額」の約定は、当初予期された利益が確保された場合に支払われる報酬金額を定めたものであり、具体的な事務処理の結果がその一部分の利益のみしか確保しえなかった場合には、具体的に事件の困難性と弁護士の寄与の度合等を判断し右「成功報酬額」の定めを上限として、これを基準にその「成功」の程度に応じた相当な報酬金額を支払う旨の合意であると解するのが合理的である。したがって、前示のごとく、「保有財産の時価の一〇〇分の八」との成功報酬額の定めがある場合でも、事務処理の結果が必ずしも「成功」とはいえないときには、右の約定を基準としながらも、「成功」の程度を具体的に斟酌し、相当額の報酬金を支払う旨の合意であると認めるのが相当である。
≪証拠判断省略≫
四、1、以上の観点にたってみるに、原告は本件受任事件の処理につき、充分な成功を収めたものとはいえないけれども、本件遺産分割事件においては、利害関係人も多数に上り、遺産の所有名義も複雑であり必らずしもその範囲は明確でなく、殊にその評価が困難であり、また当時としては相続税の額も確知しえなかった等の諸事情に鑑みれば、原告が被告らのため前記財産を保有せしめることについてはなお相当の困難性があったものといわなければならず、これらの事情を斟酌して判断すれば、原告が本件受任事件の処理の結果被告に対して請求しうべき成功報酬の額は、前記約定の算定基準により算出した額の五割に当る三〇五万四、〇〇〇円が相当であると認めるべきである。
2、そうすると、原告は、右の報酬金三〇五万四、〇〇〇円のうち二五〇万円はすでに被告から受領しているのであるから、被告に対しその残額五五万四、〇〇〇円および約定の弁済期である受任事務終了の翌日、昭和三六年一〇月六日から支払済まで民事法定利率年五分の割合による遅延損害金の支払を求めることができる。
3、よって、原告の本訴請求は、右の限度において理由があるから、これを認容し、その余の請求は理由がないのでこれを棄却することとし、訴訟費用の負担について民事訴訟法八九条、九二条本文を、仮執行の宣言について同法一九六条を各適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 渡辺忠之 裁判官 山本和敏 大内捷司)
<以下省略>